日本フランス語学会2015年度シンポジウム

言語の進化とコミュニケーション

日時:2015年5月30日(土)10時〜12時
会場:明治学院大学白金キャンパス 2号館1階 2202
(※終了しました。参加者56名) 

申し込み: 不要 (直接会場にお越しください。)

参加費: 無料

※  日本フランス語学会の会員でない方の参加も自由です。
※  フランス語を学んだことがない方もどうぞご遠慮なくお越しください。

多数のご参加をお待ちいたしております。

パネリスト:

守田 貴弘(東洋大学)「言語進化におけるコミュニケーションをめぐって」
藤田 耕司(京都大学)「言語進化とコミュニケーション」
岡ノ谷 一夫(東京大学)「コミュニケーションが育む信号の複雑性」

企画・司会:守田 貴弘 (東洋大学)

お問い合わせ:
酒井 智宏 (運営担当/早稲田大学) t-sakai(a)waseda.jp  ※ (a)を@に置き換えてください。

ことばの通じない国に行ったとき,身振り手振りだけで十分に意思の疎通ができたと思えることがある.「ことばが分からなくても何とかなるもんだな」.そんな気がして,少し安心する経験だ.その一方で,恥を忍んで告白するなら,フランス語の専門家という肩書をなかったことにしたいくらい,よく知らない話題のニュースなどはほとんど聞きとれないこともある.スクリプトを目にすると,「え,こんな簡単な単語すら聞きとれなかったのか……」と,愕然とする経験である.意味が分かれば簡単に聞きとれるのになぁ……

ん?意味が分かれば?ということは,ことばを聞き取る以前に意味を理解しているということなのか?そうであれば,いったい何のために言語はあるんだ?いやいや,そうはいっても複雑なことを伝えようとするなら,言語が果たす役割もきっと重要なはずで……

あまりにも素朴な疑問のような気もするけれど,言語が分かるから意味が分かるのか,意味が分かるから言語が分かるのか,いったいどちらなのだろう.コミュニケーションありきの言語なのか,その逆なのか.

そういえば,言語起源をめぐる議論でも,コミュニケーションの位置づけについては真逆の主張がなされているように見える.

言語は、思考を表出するためのシステムであって、(コミュニケーションのシステムとは)まったく異なったものである。もちろん、言語をコミュニケーションのために使用することはできるが、これは、人間のすることなら何でも、たとえば歩き方や服装や髪型のごときも、コミュニケーションのために使用しうるのと同じことである。しかしながら、コミュニケーションという概念をいかに有用に規定したにせよ、コミュニケーションは言語の唯一の機能ではないのであって、それどころか、言語の機能と本性とを理解することに益する独特な意義も一切ないようにさえ思われる。(Chomsky (2002) On Nature and Language: 76. 訳文は大石・豊島2008.括弧内は筆者)

確かに言語の機能がコミュニケーションに限定されてはいないだろうけれど,だからといってコミュニケーションが言語の本性に関係ないとまで言われると,「コミュニケーションありきの言語理解」という素朴な経験はどうなってしまうのだろう?

「突然,私はあなたに向かって,図書館ホールの壁に立てかけてある数台の自転車の方向を指さす.あなたの反応は,おそらく「ハァ?」というものだろう.あなたには私がその状況のどの側面を指示しているのか,またはなぜ私がそのようなことをしているのかがわからない.というのも,指さしそれ自体では何も意味していないからだ.しかし,仮にそれより数日前にあなたがボーイフレンドとひどい別れ方をして,それを私たちは互いに知っていて,その自転車のうちの一台が別れた相手のもので,そのことも私たちは互いに知っているとしよう.するとまったく同じ物質的状況で行われたまったく同じ指さしの身振りが,非常に複雑な内容を意味するかもしれない.例えば「あなたのボーイフレンドが図書館にいる(だから図書館に行くのはよした方がよいかも)」といったように.」
(トマセロ(2013)『コミュニケーションの起源を探る』:3)

もっともなことを言われている気がするけれど,「しかし,仮にそれより数日前に」あたりからの事情は,身振りだけで伝えるにはあまりに複雑ではないだろうか?さすがに言語なくしてこんな込みいった事情,伝えられないだろう.たとえば共有された経験的基盤があったとしても,言語なくして「ボーイフレンドとひどい別れ方する」なんてこと,あるんだろうか ?

コミュニケーションがあったから言語が生まれたのか,言語が生まれたからコミュニケーションが可能になったのか.この問いを,それぞれ立場の異なる研究者にそのままぶつけてみよう.対立しているように見えても,きっと同じ理解に至ることができるような予感がする.

そしてその先に,人類にとって重要なこの問いに対して,言語学は,フランス語学は,どのような貢献ができるのだろう.

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